いつものコースへ出発。
今日このコースが夏目漱石とたいへん縁があることを改めて知りました。
早稲田大学から女子医大方面へと登っていく坂道「夏目坂」。
この坂道を毎日歩いていることは以前にも書いたが、坂の始まりに「夏目漱石誕生之地」と掘られた石碑がある。
石碑の横に、文豪漱石がこの地で生まれたことの説明文が。
坂下の交差点。酒屋の右隣が吉牛。吉牛の入り口の横に石碑はある。
ちなみにこの酒屋「小倉屋」は、堀部安兵衛が高田馬場へ決闘に行く駆けつける際に一杯引っ掛けたと言う、講談「高田馬場の仇討ち」の出てくる有名な酒屋さん。江戸時代から330年も続いている酒屋さんらしい。
夏目坂の名前は当然夏目漱石に由来するものだとばかり思っていたが、いろいろなHPを見ていくと、このあたりでは名家の当主であった漱石の父親が自分の名前を坂道につけたことに始まっているとのこと。
夏目坂を上りきったら、若松町の交差点。
ここを左に向きを変えて大久保通りを東に。途中左に「宝禄稲荷神社」がある。
いつもは大久保通りをまっすぐと牛込柳町の交差点まで歩き、左へ曲がってこんどは外苑東通りを行く、と言うルートなのだが、今日は宝禄稲荷神社を過ぎて、細い路地へ入ってみた。
少し歩いていくと行き止まりになったり、行きたい方角には道が続いていなかったりとなかなかラビリンスな散歩コースとなったが、とある小さな公園の入り口に夏目漱石の石像を発見。
漱石山房という漱石記念館だった。
「漱石終焉の地」という看板がある。
漱石山房は夏目漱石晩年の居宅で『三四郎』『それから』『門』などの代表作は全部ここで書かれたものらしい。
奥に「道草庵」という見学館がある。
誰もいない無人だと思って入った道草庵の中におじさんがいたのでちょっとびっくり。
どうぞ」と無言で手振りしてくれた。
漱石の書の初版本のレプリカが並んでいる。
ひっそりとした住宅街の中にあり、1日に何人来館するのかも疑問。
ここを出て路地から大通りへ出てみると、いつものゴール近く、外苑東通りの弁天町の交差点だった。
漱石誕生の地と晩年の住まいをいつも昼休みに歩いていたと思うとなんだか感慨深い。
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